⑬左兵衛佐さんの振り返りを読んでも鳥肌立ちました。 ナリタブライアンは競馬の儚さも含めた面白さを僕に教えてくれた馬でしたので余計に。 ありがとう。
左兵衛佐のトーク
トーク情報- 左兵衛佐
左兵衛佐 昔のレースを見返すときりないな。今日はもうひとつ海外のレース。
1988年、アメリカのチャチルダウンズで行われたブリーダーズカップディスタフ。
この年のディスタフには全米の3強が集結した。無敗の最強牝馬パーソナルエンサイン。牝馬でありながらケンタッキーダービーを勝った女傑ウィニングカラーズ。三冠牝馬グッバイヘイロー。
当日はハリケーンの影響でみぞれ混じりの大雨。ダートコースには水が浮いて最悪のコンディションだった。
レースはウィニングカラーズの逃げで始まる。強風の影響は受けるものの馬群の中で跳ね上げられた砂の直撃を食らうよりはまし。快速を飛ばす。
グッバイヘイローは好位からチャンスを伺う。
パーソナルエンサインは苦手な不良馬場に苦戦しつつ中段待機。
3コーナー過ぎでレースは大きく動く。ウィニングカラーズが失速し始めると後続が一斉に襲い掛かる。すると次の瞬間、ウィニングカラーズが再加速を始めた。まんまと後続は罠にはまった。肝心な所で脚を使わされた後続馬は次々と失速していく。直線に入るとウィニングカラーズの独走になってしまう。グッバイヘイローが2馬身差で抵抗するが差は詰まらない。パーソナルエンサインは更に3馬身後方。
残り200。グッバイヘイローに取りついたパーソナルエンサインが、もがきながらもスパートする。併せ馬になって闘志に火が着いたパーソナルエンサインが追い込む。グッバイヘイローを振り切りウィニングカラーズに並んだところがゴールだった。
写真判定の結果、パーソナルエンサインがハナ差で勝利。
通算13戦全勝で引退の花道を飾った。
ちなみにこの三頭の馬達は後に日本にも影響を与えます。
グッバイヘイローはダンシングブレーブとの間に牡馬をもうけます。高松宮記念を勝つキングヘイローです。
ウィニングカラーズはゴールデンカラーズを産み、甥にあたるタップダンスシチーはG1 を2勝しました。
パーソナルエンサインはアメリカでG1 馬を次々と排出し、2番仔のアワエンブレムからはアメリカ2冠馬ウォーウンブレムが出ました。ウォーウンブレムは日本で種牡馬となりました。
パーソナルエンサイン。
コリン以来80年ぶりに10戦以上で無敗のまま引退という偉業を達成し母としても大成功を納めた、ミスパーフェクト。1993年にアメリカ競馬の殿堂入りを果たしています。 - 左兵衛佐
左兵衛佐 さて、本日は1985年天皇賞秋を振り返ります。
このレースは最強馬の皇帝シンボリルドルフがどんな勝ち方をするのかに注目が集まっていました。
とはいえ、他の馬も一発を狙っていました。
ニホンピロウィナー、スズパレード、ウィンザーノット、ニシノライデン。
レースはリキサンパワーの逃げで始まります。ルドルフは中段で待機。
3コーナー辺りでニシノライデン、スズマッハが仕掛けてペースが上がるとウィンザーノットも仕掛けて好位の外へ。この時ルドルフはスルスルと3番手の外まで進出。
直線に入ると馬場の真ん中をウィンザーノットを待ち構える形でルドルフが先頭に。ニホンピロウィナーも距離の限界を越えて懸命の追い込み。
しかしルドルフはこれらを見下すかのような余裕で抜け出した。
だがしかし、本当の伏兵はその後ろから迫っていた。
赤の帽子の社台の勝負服。
ギャロップダイナ。
凄まじい末脚は一瞬でルドルフを飲み込んだ。
皇帝シンボリルドルフの敗戦。
当時のファンとしてはこんなイメージだったこのレース。しかしこのあとギャロップダイナは安田記念を快勝しヨーロッパ遠征。最後のレースとなった有馬記念でも2着になるなど実力馬であることを証明したのでした。 - 左兵衛佐
左兵衛佐 名勝負という趣旨から早くも外れかけてきたので少し軌道修正。
1989年の毎日王冠。
昭和から平成に代わり3強と呼ばれる馬達もオグリキャップ以外のタマモクロス、サッカーボーイが引退して、世代交代が進んできます。代わって、スーパークリーク、イナリワン、メジロアルダンが台頭して4強の時代に。
このレースにはオグリキャップ、イナリワン、メジロアルダンが出走。新時代の開幕を告げます。
レジェンドテイオーの大逃げをウインドミル、メジロアルダンが好位から機を窺いつつ後方のオグリキャップ、イナリワンを警戒する展開。直線に入るとレジェンドの脚は鈍り始めメジロアルダンがいつでも捉えられる状態に。しかし、後ろを警戒するアルダンは中々先頭に立とうとしない。最後方で馬体を合わせたオグリキャップとイナリワンにはこの時点で他馬は眼中になかった。両馬が加速しながら馬体がグイグイ沈んでいく。ゴール前50m でアルダンを交わした2頭は並んだままゴール。
オグリキャップがハナ差で勝利した。
G2 であるにも関わらずオグリキャップのベストレースにこのレースをあげる人も多い。直線の叩き合いは激しく根性のぶつかり合いは今見ても痺れる名勝負です。 - 左兵衛佐
左兵衛佐 早速ではありますが昨日軌道修正したはずですけど脱線したいと思います。笑
これから紹介するレースは激戦でもなんでもなくある馬の圧勝劇です。しかし、メンバーはすごいですけど。
サンデーサイレンスの代表産駒と言えばどの馬をあげますか?
ほとんどの人がディープインパクトをあげるのではないでしょうか。
しかし、本当の意味で天才的かつ驚異的な馬がいます。
アグネスタキオン。2001年の皐月賞を快勝した後屈腱炎を発症し引退に追い込まれた馬です。
取り上げるレースは2000年のラジオ短波杯3才S 。
このレースには後にダービー、JC を勝つジャングルポケット、NHK マイルを勝つクロフネが出走していました。
これはぜひ映像で見てほしいので多くは語りません。
最後の直線は圧巻です。軽く仕掛けられただけで・・・
天才は生き急いでしまうものなのでしょうか。種牡馬としてもサンデーの後継馬と期待されて、ダイワスカーレット、ディープスカイ、キャプテントゥーレなどのG1 馬を輩出しましたが11歳の若さで2009年6月22日急性心不全のため旅立ってしまいました。
最後まで一度も全力疾走することなくターフを去った名馬、アグネスタキオンこそが史上最高のサラブレッドであったと思うのは私だけではないと思います。 - 左兵衛佐
左兵衛佐 本当にローカルはダメだな。1、2着は当ててるものの最近の馬券は3着が重要だもんな。
昔のレースに思いを馳せるとしましょう。
古いです。
1983年の菊花賞。
出来れば関西の杉本清アナウンサーの実況で。
シンザン以来三冠馬は出ておらず
この年の2冠馬ミスターシービーが距離不安を乗り越えて勝てるかどうかに全ての注目が集まっていました。
レースはスローで流れながらもこのペースに我慢できない若馬のこと、掛かりぎみに向こう正面から出入りの激しい展開に。そんな中でシービーはあり得ない仕掛けをします。3コーナーの坂の手前で外目をスルスルと上がって三分三厘ではドウカンヤシマの2番手まで進出。4コーナーでは早くも先頭に。
誰もが持たないと思うのは当然の無茶苦茶な戦法。しかし、本当に強い馬に常識など何の意味も持たなかった。
カツラギエース、リードホーユーなど後のG1 馬達が襲い掛かるもののこれらを振り払い19年ぶりの三冠馬に。
杉本アナは常にゆっくり登って、ゆっくり下らなければいけないと語っていた京都の3コーナーで仕掛けたシービーに慌てた様子を隠せない実況になっています。
杉本節もぜひ楽しんでもらいたい一戦です。 - 左兵衛佐
左兵衛佐 杉本アナの名実況はレースを不朽の名作に昇華させますね。
1987年、菊花賞。
セントライト記念を圧倒的な強さで快勝したメリーナイス。四白流星栃栗毛の絵に書いたような美しい馬体を持つこの馬が新時代の覇権をつかもうと挑んだこのレース。
リワードランキングの逃げをレオテンザン、サニースワローが追走。この直後をメリーナイス、カイラスアモン、ゴールドシチーが続いて皐月賞以来の休養明けのサクラスターオーは後方。
直線に入るとレオテンザンが先頭に。メリーナイスは馬場の真ん中を伸びあぐねてもがいている。内をついてサクラスターオーが切れる。
菊の季節に桜が満開!
杉本節の真骨頂が2冠馬を讃える。
しかし、これがサクラスターオーの最期の勇姿になろうとはこの時誰もが知るよしもなかった。 - 左兵衛佐
左兵衛佐 サクラスターオーの続きと思ったけど暗くなりそうなのでまたの機会に。
本日は1991年の安田記念。
ダイイチルビー、ダイタクヘリオス、バンブーメモリーなどが出走。伏兵陣も多彩でサクラホクトオー、ユキノサンライズ、メインキャスター、ナルシスノワール。人気はバンブーメモリーが単枠指定を受けて一番人気。
このレースの最大の特徴は逃げ馬がやたら多い。笑
追い込みのバンブーにとってはもってこいの麺メンバーだった。
スタートするとナルシスノワールが好発から先頭に。3コーナー辺りではシンボリガルーダが先頭。
直線に入るとこの頃まだ穴馬の1頭にすぎなかったダイタクヘリオスが抜け出した。バンブーは馬群の中で捌ききれずにもたついている。大外から黒鹿毛の馬体が踊る!
華麗なる一族と呼ばれる一族のプリンセス、ダイイチルビーのG1 初勝利だった。
そしてここからダイイチルビーとダイタクヘリオスの激闘が始まる。
超良血のお嬢様ダイイチルビーと雑草の中からのし上がってきたダイタクヘリオス。
お似合いのカップルと言われながらワンツーを決めていきます。
大分美味しい思いをさせてもらった記憶が。笑
古馬になってから牡馬と互角に戦える牝馬はこの頃ほとんどいなかった。この馬がでなかったら牝馬路線の拡充等は遅れたかもしれない。
ダイイチルビーの出現はレース体系の変革をもたらすきっかけになったのでした。 - 左兵衛佐
左兵衛佐 本日、残念なニュースが届きましたね。武豊、幸四郎騎手のお父さんで元騎手、調教師の武邦彦氏が亡くなりました。氏のレースの中から選びたいと思います。
1973年菊花賞。
このレースの注目はハイセイコーに注がれていました。
ダービー馬タケホープは前哨戦で大敗した上に主戦の嶋田騎手が怪我の為武邦彦騎手に乗り代わりとなって6番人気と低評価でした。
サチモシロー、ボージェスト、マチカネハチロー等の先行勢の中で2番手でやや掛かりぎみにハイセイコー。
有力どころは前々の競馬。タケホープは中段の外。
スローの流れはハイセイコーに有利に働いていた。
坂の下りで先頭にたったハイセイコーが4コーナーで突き放しにかかる。一気に後続を3馬身以上放して独走かと思われたその時、大外から1頭グイグイ伸びてくる。
ハイセイコーとタケホープ!
ほとんど同時!
杉本アナの絶叫が響く。
ハナ差、タケホープが差しきった。
ハイセイコーに3000m は長い。
最後の直線で捕まえられる。
武邦彦騎手の冷静な読みが光った一戦でした。
ターフの魔術師、武邦彦。
ご冥福を祈ります。