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ハックルさんの記事が参考になるのでまた貼ります。 教養において言葉はとても重要な役割を果たす。それ以前に、「言葉そのものが教養」ということもできる。言語能力は、そのまま思考能力と直結する。だから、思考能力を高めたければ、言語能力を高める必要があるのだ。 では、言語能力はどうやって高めればいいのか? それは、鉄と同じで「鍛える」ということである。どんどん叩く――則ち「会話する」ということだ。それも、緊張感を伴った会話をする必要がある。端的にいえば、「有意義な議論をする」ということだ。 では、有意義な議論はどうすればできるのか? それは、有意義な問いを見つける――ということである。 議論というのは、必ずその種となる「問い」を必要とする。そして、議論はその「問い」次第で有意義にもなれば、無意義にもなる。あるいは、面白くなればつまらなくもなる。議論のクオリティは、その種となる「問い」のクオリティに匹敵するといえよう。 そのため、有意義な議論をするためには、まずは有意義な「問い」を見つけることから始める必要がある。あるいは、有意義な種を見つけるための能力を鍛える必要がある。「問い」を見つけるための嗅覚を鍛える必要があるのだ。 その嗅覚を鍛えるものこそ、「読書」である。読書は、「問い」を見つける嗅覚を鍛えると同時に、「問い」そのものも教えてくれる。なぜかというと、人類はこれまでの歴史の中でたくさんの「問い」を発見してきたが、そのほとんどは何らかの形で書物にまとめられているからだ。 有意義な「問い」というのは、人間の言語能力、引いては思考能力を鍛えてくれる。そのため、非常に役に立つ。それを知っている人々は、自然とそれを広めたい、あるいは共有したいと思うため、書物にしたためてきたのだ。 そう考えると、人間の知性というのはほとんど「有意義な問い」を知っているか否かで決定づけられるといっても過言ではない。また人間の思考力は、それをどれほど深く考えてきたかによって左右されるといえよう。 事実、深い知性を持つ人というのは、例外なく子供の頃に周囲を質問攻めにして困らせたという経験を持つ。なぜかといえば、そういう人は先天的に「問い」に対する感度が高いため、疑問に思いやすい傾向にあるからだ。「問い」に対して関心が向かいやすいのである。 だから、自然と「どこかに良い『問い』はないか」と探すようになり、質の高い「問い」に遭遇する機会も多くなる。それが、彼らの知性を高める結果となっているのだ。 それゆえ、もし知性を高めたかったら、あるいは思考力を高めたかったら、まずは自分の中の「『問い』への感度を高める」必要があるだろう。「『問い』への感度を高める」というのは、「好奇心に蓋をしない」ということである。もっといえば、「調べることを面倒くさがらない」ということだ。それは同時に、「調べる能力を高める」ということでもある。 先日、こんなことがあった。 知人と二人で会話していたのだが、どういう経緯かは忘れたが、「ガサ入れ(家宅捜索)」の話になった。そのとき、ぼくはふと「『ガサ入れ』の『ガサ』って何だろう?」と疑問に思った。そこで、それを会話の相手に問いかけてみた。 「『ガサ入れ』の『ガサ』ってどういう意味かな?」 すると相手は「さあ?」と首を捻って、さして興味がない様子だった。 そこでぼくは、「ここが能力を高めるか高めないかの分かれ目だ」と気づいた。 普通は、そこで相手を気遣い、「問い」を追求するのをやめてしまう。しかしぼくは、そこでせっかくの「問い」をふいにすると、「問い」をふいにする悪癖がついてしまいうことが分かっていた。 そのため、わざわざ会話を中断すると、スマホを取り出し「ガサ」の意味を調べたのである。 ここで重要なのは、冗談のように聞こえるかもしれないが、まずは「スマホを携帯している」ということだ。それから「検索の技術を持っている」ということである。 なぜかというと、ここでスマホを持っていなかったり、あるいは検索が下手だったりすると、答えに辿り着くまでの時間が長引いて、結局面倒くさくなり、調べないということになりかねないからだ。 実際、ぼくはこれまで、検索が下手で時間がかかり、答えに辿り着くのを途中で諦めてしまう人というのを数多く見てきた。 多くの人は、検索の技術を高めたり、調べるための環境を整えたりすることの重要性を認識していない。そのため、それを高めたり整えたりするということにも取り組んでいない。だから、同じことを調べるのにも時間がかかり、多くの場合で面倒くさくなって、途中で調べるのをやめてしまうのである。そうして、疑問への感度がどんどん薄まってしまうのだ。 http://ch.nicovideo.jp/article/ar874277

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