ログイン
詳細
三上雅博
投稿画像

赤身部分まで細かくサシが入っているのがわかりますか?季節が、環境が、自然が生み出す「奇跡」です。 山口社長は鮪の握りを毎朝毎朝食べている。 僕も鮪のひとかけらを、毎日毎日そのまま生で食べている。そして漬けにしてからひとかけらを食べる。あとはその鮪に合わせたシャリを用意してシャリだけで食べている。僕は自分のためにも味見のためにも自分で食べる鮨を握らない。ただ、味をひとつひとつ組み立てて口の中で体感する物語を作っていく。そうしてひとつの鮨が出来上がる。その鮨と言う名前がついた物語は食べた人に感動してもらえるのか。そればっかりを考えている。

前へ次へ
三上雅博のトーク
トーク情報
  • 三上雅博
    三上雅博

    やりたくない。やりたくない。やりたくない。辛い辛い辛い。嫌だ嫌だ嫌だ。

    それでもやるしかない。
    これは覚悟なのか諦めなのか。

  • 三上雅博
    三上雅博


    おはようございます。
    2019年12月の親父の投稿のリトークです。

    親父の言葉は重みが凄い。
    たった一行の言葉で見ている方はハッとする。
    自意識から解放されたらきっとほとんどの悩みは無くなる。僕はいつまで経っても成熟できない。自意識に苛まれ、死ぬまでこうして悩み、苦しみ、戦う事が生きると言う事なのだろう。

    本日も皆様、宜しくお願い致します。

  • 三上雅博
    三上雅博
    投稿画像

    強盗犯みたいな格好をしていますが仕込みスタイルです。笑
    若い頃は、目出し帽をニット帽代わりに折り込んでかぶり(わかるかな?)、雪かきする時だけおろして覆面状態に変身してた。
    映画「デビル」で主演のブラット・ピットがやってたのをずっと真似してた。

  • 三上雅博
    見城徹見城徹

    51年前の3月を思い出す。高校3年の卒業式の日、清水南高校がある折戸海岸の砂浜を想い叶った一学年下の初恋の彼女と富士山の方向に向かって歩いた。それが初めてのデートだった。風が強かった。彼女の長い黒髪が僕の頬を撫ぜた。甘やかな香りがした。幸せの絶頂だった。僕の高校3年間の全てを知っている砂浜。僕は何十年かかってもこの砂浜に帰って来る。その時、そう決めたのだった。一年後、彼女も東京の大学に入学した。結局、4年間付き合って、2人は別れた。彼女との東京の日々は克明に覚えている。今でも一年に一度くらい、折戸海岸を富士山に向かってあの日のように歩く。あれから51年を生きた。あの日は二度と戻って来ない。なんだか無性に切ない。

    海風に 向かいて飛びし 冬鴎 富士の高嶺の 空ぞ悲しき

    ↑ どうしても文章を追加したかったので書き直して再アップしました。

    1
  • 三上雅博
    三上雅博


    おはようございます。
    2019年12月の親父の投稿のリトークです。

    親父の文章を読める奇跡のSNS「755」。
    哀愁につられ、昔を思い返してしまいます。
    切なさを胸に、今日も茨の道をゆく。

    皆様、本日も宜しくお願い致します。